グアムの歴史と戦争を知ろう!関連施設や博物館情報も交えてご紹介!

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皆さんはグアムと聞くとどのような事を想像しますか?

おそらく大半の方が平和な常夏の楽園、エメラルドグリーンの美しい海でマリンアクティビティを楽しめる夢のような場所、というようなイメージを持っていると思います。

しかし時代をさかのぼってみると、今の私たちには想像もできないような歴史があります。

これから、グアムが現在の平和な美しい島に至るまでの歴史をご紹介していきますので、ぜひ最後までご覧ください。

歴史が始まった古代チャモロ時代

紀元前~1500年の古代チャモロ時代はさらにふたつの歴史

・先ラッテ時代

・ラッテ期

に分けられており、ここからグアムの歴史が始まります。

先ラッテ時代

・チャモロ族

紀元前1500年頃、東南アジアから船で渡来してきたチャモロ族と呼ばれる海洋民族が上陸したことからグアムの人々の歴史は始まったとされています。

今の時代を生きる私たちには想像もできないですよね。今から約4000年前のことですから。

チャモロ族は漁や航海の技術に優れており、今の時代でも評価されているフィッシング技術にくわえ太陽や月、さらには星の位置から正確に方角を読み取るなどの航海術も持っていたとされており、2017年に日本で公開されたディズニー映画「モアナと伝説の海」のモデルになったことでも有名です。

私の娘もこの映画のファンで、手を海の中にいれて風向きを確かめたり、空に手をかざして星の位置を確かめるマネをよくしていました(笑)

またカヌーを作る技術にも長けており、そのカヌーに乗り周辺の島を行き来して農業も行っていたとされています。そのほかにも住居、陶器や織物にいたるまで精通しており、まさに職人としての一面も持っています。

チャモロビレッジ 毎週水曜の夜に縁日のように盛り上がるナイトマーケットです。地元の人も多く集まり、本場のチャモロ文化に触れられるのも魅力です。

引用:https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/history/

ラッテ期

・ラッテストーン

ラッテストーン

引用:https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/architecture/

先ラッテ時代以降、マリアナ先史文化が大いに栄えた時代をラッテ期と呼びます。そしてラッテ期を代表するものといえば、チャモロ族によって作られたラッテストーンとよばれる石柱です。

ラッテストーンとは9世紀から15世紀にかけて作られたサンゴ石でできた石柱群です。「ハリギ」とよばれる直立の石柱の上部に「タサ」とよばれる石が乗っており、こけしの様な形をしているのが特徴です。

そしてチャモロ族は元々文字を使わない民族であったため、ラッテストーンが何のために作られどのように使われてきたのか不明で、未だに多くの謎が残っています。

宗教的な意味合いや墓石として造られたなど様々な説がありますが、高床式建造物の土台説というのがが一番有力とされています。

その理由のひとつとして、ラッテストーンの周辺から人骨や装飾品などが数多く発見されています。

古代チャモロ時代の人々は亡くなった身内の亡骸を家の敷地内に埋葬していたためです。そのためラッテストーンには、タオタオモナと呼ばれる祖先の霊が宿っているとされ近づかないそうです。

なので観光で見に来た際にはいたずらをしないように気を付けてください。

・マゼラン上陸

1521年3月6日、世界一周の航海中であったマゼラン一行が三隻の船の修理のためグアム島に上陸しました。

スペイン広場内にあるチョコレートハウスは、スペイン総督夫人が来客をチョコレートドリンクでもてなしたことから名付けられました。

引用: https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/history/

3日間の滞在期間の間、島民から野菜や果物などを分け与えられ、その対価として鉄を与えました。当時のチャモロ族にとって非常に価値のあるもので重宝されました。

そしてここからグアムの歴史が大きく動き出します。

333年間に渡り続いたスペイン統治時代

 

1521年にマゼランが上陸したのち、1565年にミゲル・ロペス・デ・レガスピが上陸、スペイン国王により領有権を宣言されました。これにより1565年から333年間に渡りスペインの統治時代がつづきます。

キリスト教の定着

その後1668年にイエズス会の宣教師ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス神父の一行がグアムに上陸し、キリスト教を広めるための活動を行いました。そして翌年の1669年、グアム初のカトリック教会がハガニアに建てられキリスト教が定着していきます。

聖母マリア大聖堂 スペイン広場の東に建つ、白亜の美しい大聖堂。グアムで初めて建てられた由緒あるカトリック教会です。 その昔、ウマタック湾に漂流したと伝わる聖母マリア像が安置されている。

引用:https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/history/

スペイン・チャモロ戦争

周囲の島々にも浸透していったカトリック教ですが、祖先をタオタオモナと呼びこの世界に生きる者とともに暮らす霊として崇めていたチャモロ族に対し先祖を崇拝することを禁止させました。

するとカトリック教にたいして反発の意思が増えるようになり、1670年にスペイン・チャモロ戦争へと発展します。そしてその2年後の1672年、ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス神父が殺害されます。

アプガン砦 スペイン・チャモロ戦争においてチャモロの襲来に対してスペイン軍が拠点にした砦です。

引用:https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/history/

スペイン・チャモロ戦争終結

1695年にスペイン軍が制圧してチャモロ族が降伏し、20年以上にわたる戦争が終結します。

また1698年にかけて各島々の全てのチャモロ族を監視するため、グアム島に強制的に移住させました。これがマリアナ先史文化に終焉をもたらすことになります。

そしてその後の1710年の人口調査では、10万人いたとされるチャモロ人が4000人以下に激減していたといいます。

考えただけでもぞっとしますね。残された人たちのことを考えると心が痛みます。

米国化を推し進めたアメリカ統治時代

1898年にアメリカの艦隊がグアム港に入港し、スペイン軍の攻撃によりアメリカ軍の戦艦が沈没されたことから米西戦争が勃発します。

そこから一年もたたないうちにスペイン軍は大敗し、同年のパリ条約によってアメリカ軍に島を明け渡しプエルトリコ、フィリピンとともに植民地支配下におかれることになります。

1565年から333年間に渡って続いたスペイン統治時代が終わりをつげ、アメリカ統治時代が始まりました。

信じられませんよね。333年続いた国が「今日からアメリカね」となって国が変わるのですから。

その後アメリカ化が進み様々な改善、変革がなされますが、ここからおよそ50年後、皆さんもおそらく一度は聞いたことがあるであろうあの戦争が始まり、グアムも巻き込まれることになります。

そう、第二次世界大戦です。

31か月間の日本統治時代

皆さんは、グアムが日本の植民地だった過去があったということを知っていましたか。

第二次世界大戦が始まり、1941年の日本軍による真珠湾攻撃の日と同じ12月8日、グアム島を占領し「大宮島」と改名され、31か月間の日本統治時代が始まることになります。(現地では「日本の時代」を意味する言葉で「テイエイポン・チャパネス」と呼ばれています)

その統治の間、日本兵は島民に日本語を使わせようと必死で教えましたが、アメリカに対する忠誠心が根強く残っておりほとんど日本語が浸透することはなかったといいます。

1944年の7月21日、日本軍に奪われたグアム島を奪還するためにアメリカ軍が島に上陸し、三週間におよび激戦が繰り広げられることになります。

防空壕跡 旧日本兵がチャモロ人の使役労働者に彫らせたもといわれており、第二次世界大戦中に倉庫や防空壕として利用されたと考えられている。

引用:https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/history/

グアム平和慰霊公苑。 ジーゴから北東にかけては、太平洋戦争時、日米の激戦地となったところ。旧日本軍兵士の霊を祀る、高さ15メートルの慰霊塔があります。

引用:https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/world-war-ii-sites/south-pacific-memorial-park/

そして数千人の命を奪い合った戦争が終結し、日本軍はアメリカに敗れ31か月続いた日本による統治が終わりを迎えます。

 

再びアメリカ時代~そして現在へ

1944年、31か月間の日本による統治が終わり、グアム島はアメリカ領に復帰しました。その後の1950年にグアムはアメリカの自治属領となり、島民にはアメリカ市民権が与えられました。

1960年にはチャモロ人で初めての知事が誕生し、1967年にパン・アメリカン航空の就航により観光産業がもたらされ、その3年後の1970年には日本航空からグアムへの就航が開始されるまでとなりました。

さらに2年後の1972年には、元日本兵の横井庄一さんが28年もの間潜伏生活をしていたジャングルで発見され注目を集めました。

そして現在では、毎年約150万人の観光客が訪れる、誰もが知る人気のリゾート地へと発展しています。

自由の女神像

引用:https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/history/

横井ケーブ 元日本兵の横井庄一さんが28年間潜伏生活を送っていたといわれる洞穴の一つを再現したものです。

引用:https://www.visitguam.jp/chamorro-culture/history/

さいごに

いかがでしたか。

普段私たちがイメージしているグアムとは違い、波乱万丈にみちた歴史をくぐりぬけてきたことがお分かりいただけたかと思います。

歴史が動いていくたびに翻弄され、数多くのチャモロ人が命を落としました。

しかしそれでもチャモロの人々は生きることを諦めず、現在の平和で美しいグアムへと導いてくれました。

そのことを心に、グアムに旅行に来たときにはぜひチャモロの歴史にふれてみてください。

きっとあなたの心に響く何かをみつけることができると思いますよ。

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